異世界はアニメ文化として定着していますが、その基本コンセプトは日本の外では決して目新しいものではありません。
異世界というジャンルは、毎シーズン少なくとも1つは新しい異世界作品があるように思えるほど、アニメでは一般的になっています。
アニメの代名詞ともいえるジャンルなので、そのコンセプトをアニメ以外のメディアで想像するのは難しいかもしれません。
しかし、キャラクターが異世界に飛ばされるというアイデアは、日本以外でも決して新しいものではありません。
現代のアニメでは、このコンセプトは様々な仕掛けやテーマで実験され、あるものはより一般的になっています。
このように様々なストーリーがあるため、「最初の異世界は何か」と問われると、アニメファンは適切なコンセンサスを得るのに苦労するほど、異世界というジャンルはアニメの中で際立っているのです。
小説では『不思議の国のアリス』や『オズの魔法使い』などに、異世界との類似性を認識しているファンは極めて少ないですが、実は全く認識されていない西洋の「異世界」があるのです。
異世界とは?
異世界の定義は、一言で言えば、一つの世界から別の世界へ主人公が旅をする物語となります。『ソードアート・オンライン』や『転生したらスライムだった件』などのヒットにより、この異世界というコンセプトはアニメ文化に大きな影響を与えました。
このジャンルは汎用性が高いため、主にファンタジーというジャンルで使用されています。マンガやアニメのクリエイターは、このジャンルを常に新鮮なものにしようと、あるものは素晴らしく、またあるものは奇抜なアイデアで表現しています。
異世界では、(元の世界で)主人公が死ぬことが多いですが、別の可能性の現実世界に飛ばされる作品もあります。時には、別の人間や種族、あるいは信じられないかもしれませんが、無生物に生まれ変わることもあったり、また、主人公が悪役になる興味深いケースもあります。
アニメはその膨大な実験的アイデアで知られているので、異世界というジャンルは、そのアニメ文化に完全にフィットしているのです。
日本では、過去数世代にわたって、異世界の大規模なインスピレーションの源となった一つの物語があります。室町時代(1338-1573)、「浦島太郎」という異世界物語が口承で伝えられていました。
この物語は、浦島太郎という漁師が、虐待されていた亀を助けたことから、不思議な海底王国へ入ることができるという冒険物語です。この中世の民話にはまだ続きがありますが、本題に戻ります。とにかく、この物語が日本の異世界の最古のものです。
しかし、この仕掛けに関しては、イタリアのある有名な詩人が日本の語り部たちに勝っています。
イタリアにおける異世界の発祥
異世界という言葉が生まれる以前から、イタリアの詩人ダンテ・アリギエーリ(Dante Alighieri)は、後の西洋の芸術・哲学文化全体に影響を与えるような文学に取り組んでいました。
ダンテは、宗教哲学とアリストテレスからの特別なインスピレーションを融合させ、道徳、人間の魂、愛、真実などをテーマにした様々な詩を書きました。中でも、最も有名な作品は『神曲』で、地獄、煉獄、天国の3つの死後の世界を巡礼する物語です。
ダンテは、1300年代初頭にイタリアのフィレンツェを追放され、そこから旅立ったことが『神曲』の着想の源となったと言われています。ダンテは死後の世界を含むカトリックの信仰を強く持っていたため、カトリックのシンボルやテーマが『神曲』の重要な構成要素となっています。
死後の世界というのは、本来は別の世界ですから、『神曲』は異世界的な物語になるわけです。
『神曲』は、浦島太郎の物語が語られた室町時代よりも前の1314年にはイタリア全土に流布していました。この異世界は、死後の魂の旅路と現実の世界とは違う世界における主人公の冒険をスリリングに描いたものとして、初めて記録されたものです。
公平を期すため言っておくと、もちろん、文化圏に関係なく、他の作家も同じような発想で作品を作っている可能性はあります。それらが歴史的な記録に名前が残らないのは、彼らの異世界の物語が口承に頼っていて忘れ去られているか、古代や中世の民話を維持するようなコミュニティを持っていなかったからかもしれません。
ダンテは、自分の物語を最初に記述したことで、『神曲』によって西洋にインスピレーションを与えたと評価されています。ダンテの作品に触発されて、東洋が異世界への旅をさらに発展させたのか、あるいは同じ世紀ごろに、たまたまその考えが広まったのかは分かりません。
現代の欧米のクリエーターは、ダンテの作品に触発され、『セブン』『サンドマン』『オーバー・ザ・ガーデンウォール』などのエンターテインメント作品を生み出しています。一方、日本では浦島太郎の物語から着想を得て、『千と千尋の神隠し』や『十二国記』などの作品が生まれたと思われます。
普遍的なプロット・デバイス(物語における仕掛け)は普遍的なままであるべき
『神曲』の核となるのは、何世紀にもわたって使われてきたストーリーテリングの基本コンセプトですが、今日、アニメ制作者は次元移動というプロット・デバイスを世に送り出し、「異世界」という特殊なラベルを付けています。
日本語では「他の世界」と訳され、「isekai」との関連性は明らかですが、このジャンルやプロット・デバイスがアニメと密接に結びついているという事実は、少々限定的ではあります。
異世界というよく知られたコンセプトは、アニメを有名にし、また話によっては悪名高いものにしました。その理由の一つは、繰り返されるストーリー展開と、これらの作品と関連付けられた、あまり良いとは思えないのですが、アニメでよくあるお約束的なものです。
この使い古された基本的なストーリーコンセプトは、アニメのオリジナリティを損ない、ある一つの文化、つまり日本アニメのストーリーだけを選別することで、ストーリーテリングに制限を与えているのです。
もっとも、何かを最初にペンにしたとか、エンターテインメントで最も有名になったということは、壮大な計画の中では大した違いにはならないのですが。良い物語は良いものですが、これらの注目すべき物語を作るためには、レッテルを貼る事の過度な強調やマーケティング戦術は避ける必要があります。
最初の異世界的な物語の作者たちは、今日の異世界の扱われ方のようなトレンドに乗ろうと考えていたわけではありません。彼らは自分自身を表現し、世界と共有したいメッセージを持っていたのであり、それが彼らの物語をとても深いものにしているのです。
ダンテが当時の哲学者や宗教家からインスピレーションを受け、彼以降のストーリーテラーがダンテから独自のインスピレーションを見出したように、すべてのストーリーテラーは、自分たちの前の誰かからインスピレーションを受けるのです。そしてそれは先駆者の物語に何か特別なものを見出したからにほかなりません。
私たちが愛するようになった物語は、トレンドやお約束的展開のためではなく、信念や哲学、そして最も重要な想像力に挑戦するためのものなのです。そのアイデアが過去になされたものであろうとなかろうと、適切なインスピレーションを見出すのはクリエイター次第なのです。
近い将来、最新のストーリーテラー達がその純粋さと表現感覚を持ち続け、異世界の斬新さが、より大切に使われるようになることを期待したいものです。