『うちの師匠はしっぽがない』は、落語の知名度を上げることに成功したアニメですが、それはこのアニメだけではありません。
この秋に放送されている数多くのアニメの中で、『うちの師匠はしっぽがない』は、いくつかの理由で人々の注目を集めました。
『うちの師匠はしっぽがない』は、この秋に放送されている数少ない時代劇のひとつですが、この作品が際立っているのは、落語を題材にした時代劇であることです。
『うちの師匠はしっぽがない』が特別なアニメであるのは、落語アニメの中でもかなり短いシリーズの一つであることも理由の一つです。
もうひとつは、このアニメが、現代における落語の人気の高まりという興味深い現象を示しているからです。
落語とは、江戸時代から続く日本のパフォーマンスアートです。一人の演者が、最小限の小道具と声だけを頼りに、観客を楽しませるために話をするのです。
落語は、さまざまな言葉遊びやカリスマ性のある面白いキャラクターを使った喜劇的なものが多いです。漫才と一人芝居を合わせたようなもので、日本の芸能の中でも非常にユニークなものです。
落語の人気は時代の変遷と共に確かに衰えましたが、アニメやマンガが新たな息吹を与えて来ています。
アニメに見る落語のアプローチの違い
今、『うちの師匠はしっぽがない』が注目されていますが、この種のアニメは初めてではありません。落語のネタに影響を受けた作品はかなりありますが、以前、落語家を描いたアニメとして『昭和元禄落語心中』(しょうわげんろくらくごしんじゅう)があります。
この作品は2016年に初めて放送されましたが、原作マンガの連載開始は2010年で、2015年には同プロジェクトの2話完結のOVAも発売されています。アニメもマンガも多くの賞賛を受け、新しい世代に向けて落語という話芸にスポットライトを当てることができました。
『うちの師匠はしっぽがない』と『昭和元禄落語心中』を比較して興味深いのは、この2つの作品が視聴者に落語を見せるのに、まったく異なるアプローチを取っていることです。
『昭和元禄落語心中』は、落語家とその芸をめぐるドラマと緊張感が特徴的な、非常にキャラクター重視の作品です。この作品が人気なのは、その地に足の着いた演出があるからです。複雑な話芸の世界の内幕を垣間見てるような感覚といった感じでしょうか。
一方、『うちの師匠はしっぽがない』は、もっと軽いノリの作品です。明るく華やかで、重いシリアス感がないにもかかわらず、魅力的なキャラクターが登場します。また、芸人たちが、変身する妖怪という、よりファンタジーなアプローチもなされています。
この作品で面白いのは、『昭和元禄落語心中』には無い、アニメ内で演じたすべてのネタをエピソードの最後に解説していることです。これは、視聴者が混乱したり、理解できなかったりしたジョークや言葉遊びの文脈を理解してもらうのに役立つので、この作品にとって実に良いタッチとなっています。
似たようなものとして、少年ジャンプのマンガ『あかね噺』(あかねばなし)も、より詳細なレベルで同じようなことをやっています。この『あかね噺』は、2つのアニメをミックスしたような作品で、地に足がついていると同時に活気に満ちており、ストーリーだけでなく落語業界の内情も説明しています。
これらのプロジェクトは、それぞれ異なるアプローチで落語を探求していますが、落語という話芸を存続させるために、素晴らしい仕事をしています。これらは、スポーツやさまざま趣味をテーマにしたアニメに勝るとも劣らない、いずれも作り手の「世界に伝えたい」という情熱から生まれています。
そしてアニメというメディアがそれを可能にしていることが素晴らしいと思うのです。