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『千と千尋の神隠し』: 宮崎映画の人気の秘密とは?

『千と千尋の神隠し』: 宮崎映画の人気の秘密とは?

宮崎 駿監督の2001年の傑作『千と千尋の神隠し』では、千尋が不機嫌で泣き虫だった10歳から、優しくて責任感のある子へと成長していきます。

 

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『千と千尋の神隠し』について

監督     : 宮崎 駿
日本での公開日: 2001年7月20日
世界での公開日: 2002年9月20日

『千と千尋の神隠し』の脚本・監督は、受賞歴のあるアニメーション映画監督であり、有名なアニメーションスタジオ、スタジオジブリの共同設立者でもある宮崎 駿氏です。

『Spirited Away』(英語版タイトル)は2001年7月に『千と千尋の神隠し』というタイトルで日本で公開されました。
「神隠し」とは「spirited away(どこかに連れ去られる)」を意味する言葉で、神の怒りにふれ、連れ去られたとされている、人々の不思議な失踪を指しています。

『千と千尋の神隠し』は日本で商業的に大成功を収め、1年後の2002年9月にはアメリカでも公開され、ここでも批評的にも商業的にも大ヒットを記録しました。
同作品はアカデミー賞長編アニメーション賞を受賞し、同賞において、英語以外の外国語による手描きアニメーション映画としては史上初、そして現在に至るまで唯一の受賞作となっています。

 

 

簡単なあらすじ

10歳の少女が、霊々(かみがみ)の住む不思議な世界に閉じ込められ、両親も豚になってしまいます。
そこで出会った少年ハクに助けられながら、両親を救い人間界に戻ることが、少女に託されます。

 

霊々(かみがみ)の世界

霊々の世界には、主に人間の姿をした霊々が住んでいます。しかし、河の霊々や、他の自然の霊々も登場します。
どの霊々も、いい人に見える反面、貪欲で、怠惰で、時には意地悪であることも示されています。

この世界では、湯婆婆(「湯屋の魔女」)が力を持っていました。彼女は鳥に変身して自室に出入りしたり、人の名前を変えて自分の支配下にするという不思議な力を持っていました。
その力を使い、湯婆婆は千尋の名前を「千」に変えてしまいます。

Chihiroは「千尋」と書き、「千の質問」を意味しますが、湯婆婆は二番目の漢字を削除し、彼女の名前を「千」にしてしまいます。
そうすることで、湯婆婆は彼女のアイデンティティを盗んでいるのです。彼女はハクにも同じことをしており、その結果、彼は自分のアイデンティティを忘れてしまっています。
アイデンティティを忘れた人間は、元の状態に戻る見込みは無いといいます。

 

 

湯婆婆(ゆばーば)と銭婆(ぜにーば)

しかし、湯婆婆の性格は全て悪いというわけではありません。彼女は息子の赤ん坊の坊(「少年」の意)を溺愛しており、枕の下に隠しています。
彼女は約束は守り、仕事を求める人には仕事を与えます。金には貪欲ですが、客の霊々には敬意を持って接します。

銭婆は、湯婆婆の双子の姉です。怒りっぽく破壊的な性格ですが、千尋が銭婆のハンコを返した時に見せたように、良い面も持っています。

 

 

霊々は人間の象徴

湯婆婆にアイデンティティを奪われた人たちは、自分が人間であることを忘れています。彼らが「人臭いぞ」とか言うのはそのためかもしれません。
彼らは今、湯婆婆の言いなりになり、それ以外のことは何も知らないようです。湯婆婆は強欲で意地が悪いので、その点、従業員たちも湯婆婆につられてそうなっているようです。

こうしてみると、湯婆婆と彼女のために働く霊々たちは、日常世界の人間と変わりません。人間は裕福になるにつれて、自分の出自を忘れ、自分と一緒に育った人々のことを、貧しく不潔だと見なすようになるものです。
しかし、豊かになったからといって、彼らの欲が減っていくことは決してありません。宮崎監督は、間違いなくこのことを問いかけているのだと思います。

悪臭を放つ河の霊々が湯屋を訪れると、他の者がその悪臭に耐えられず、かわいそうなことに、千尋が担当することになります。
河の霊々は汚物まみれになっており、千尋は湯屋のみんなに助けられながらも、河の霊々に刺さっていた三輪車を引きずり出します。

 

 

千尋は労働者階級を代表している

ここで脚本は、人間の偽善性をはっきりと浮き彫りにしています。人は、川にゴミを捨てておいて、後でその川を汚いと言うのです。実際には、すべての汚物は人間が作り出したものであるにもかかわらずです。
千尋が、河の霊々を掃除することになるのですが、ここでは、彼女は、誰もやりたがらない仕事をする労働者階級の代表として描かれています。

 

 

千尋とハク

千尋は、最初に両親と旅行しているときは、泣き虫な少女として描かれていました。しかし、(父親がトンネルに入ろうとした際、)トンネルに入るの止めよう、と正しい事を言うなど、賢い一面も見せています。
その後ハクの助けも借りて、彼女は、霊々の世界で生き延びるだけでなく、周囲の人々を助けるために懸命に頑張るようになります。

彼女は龍の姿のハクを認識し、湯婆婆がハクの体内に入れた虫を吐き出させるためのダンゴを、彼に与えました。そして千尋は、湯婆婆がハクに盗ませた銭婆のハンコを、ハクが吐き出すと、それを銭婆に返すのでした。
ハクは自分の正体を忘れていたため、多かれ少なかれ湯婆婆の使いっぱしらに成り下がっていましたが、それでも千尋を霊々の世界から脱出させるために、彼の中の善良な部分を働かせました。

 

 

ハクは川の神

千尋は、かつて川に落ちて溺れかけましたが、川(の神)に助けられていました。ハクはその川、つまり川の神だったのです。道路やビルの建設でその川がなくなったため、彼は霊々の世界に入ったのでした。
こうしてみると、ハクは千尋の命を二度救ったことになります:川であったときと、霊々である今。千尋がハクの中にいた虫を殺したことで、彼は本来の無私の精神を取り戻しました。

多くの点で、千尋とハクの関係は、人間と自然の関係を表していると言えます。水は生命の根幹であるにもかかわらず、私たちは利己的な欲求(ハクの中にいた虫に代表される)のために、それをひどく乱用しています。
千尋は、シンプルにその虫を足元で踏み潰しました。

(千尋がしたのと)同じように、強欲を踏み潰すことは難しいことではありません。私たちは単にそうすることを拒否し、水域を危険な状態にし、洪水やその他の自然災害が起こりやすい状態に、し続けているだけなのです。

 

 

リン、カオナシ、そして 坊(ぼう)

当初は千尋を警戒していたリンですが、千尋に食事を運んだり、リンはハクのことを完全には信頼していなかったので、千尋にハクにはあまり近づかないように忠告したりするようになりました。
リンもまた、釜爺(かまじい)とともに、千尋が銭婆の元に行けるよう助けます。

カオナシは、千尋以外の誰も気づいていないような、もの静かな霊々です。千尋は、彼におじぎをしたり、話しかけたり、湯屋に入れてあげたりしました。しかし湯屋の中に満ちている強欲に堕落したのか、彼はそこにいる従業員達を飲み込み始めます。
千尋は、汚れた川の霊々からもらったニガダンゴをカオナシに食べさせ、彼が元の姿に戻るのを助けます。カオナシは千尋と一緒に銭婆の家に行くことになり、そこで、銭婆はカオナシに自分のもとで働くことを持ち掛け、彼を引き取ります。

 

 

カオナシは、数多の不特定多数者の象徴

カオナシとは、文字通り「顔のない」「匿名[無名]の」という意味です。彼はおそらく、誰にも注目されることなく生きて死んでいく何百万人もの無名の人々の象徴なのでしょう。
カオナシはおそらく、湯屋の霊々たちを恐怖に陥れることで、自分に注目が集まると考えたのでしょう。ここで、千尋は、歯車のひとつひとつに役割があることを、カオナシに理解させます。
千尋は最年少で最弱ですが、霊々の世界に大きな変化をもたらします。

坊は、湯婆婆の甘やかされた息子で、最初は怖がって歩くこともままなりません。千尋は、坊が自分の部屋の外の世界を見るのを助けます。すると後に、今度は坊が、母親の自分への溺愛ぶりをうまく利用して、千尋が霊々の世界から脱出するのを助けます。

 

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『千と千尋の神隠し』は、時代を先取りしている

私の見解ですが、この映画は時代を先取りしており、おそらく英語圏と日本の両方で、いくつかのアニメーション映画に影響を与えていると思います。
私自身は、この作品を劇場で見ることはできませんでしたが、2001年に公開されたことを考えれば、アニメーションのクオリティはかなり高いと思われます。
少なくとも一度は家族で一緒に、観る価値のある映画だと思います。子供はもちろん、大人だって楽しめること請け合いです。

私は千尋のデザインが好きでした。彼女は、どこにでもいるような10歳の子供と同じような服装で、カジュアルなTシャツにショートパンツ姿です。映画が世界的にヒットしたのも頷けます。
他の多くのアニメと同様、『千と千尋の神隠し』にも多くの解釈の仕方があります。

 

 

10歳のための映画

宮崎監督は、あるインタビューで、10歳の子供向けの映画を作りたかったと語っており、彼の友人の娘が、だいたいその年頃だったため、その子をゆるやかにモデルにしたといいます。
宮崎監督はどうやら、10歳の子供たちに千尋を尊敬し見習ってもらえれば、と考えているようです。

私見になりますが、宮崎監督が若い女の子に、こうあって欲しいと願っている事は:

  1. 日本人としてのルーツと伝統を常に忘れない事。 千尋は最初、言われない限り、お辞儀はしない子でした。年長者にお辞儀をするのは、日本ではとても基本的なことです。
  2. 自然を大切にし、敬意をもって接する事。あなたが自然を助ければ、次は、自然もあなたを助けてくれます。
  3. たとえどんなに年齢が若く、背丈も小さかったとしても、自分たちが望む変化を、やろうと思えば必ずもたらすことができると信じる事。
  4. 若い世代と年を重ねた世代の橋渡し役になる事。そうする事で、年を重ねた世代からベストを学び、若い世代にそのベストを教えることができます。そうは言っても、千尋の両親の行動は、常に見習うに値するかというと、そうは言えないし、坊のような幼児だって、しょせん、わがままなガキでしょう。しかし、時に賢く、時に大胆になることで、千尋は両方の世代を助けることに、最後には成功するでしょう。

 

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