フリーザ編は『ドラゴンボール』の中で最も記憶に残るもののひとつです。しかし、多くのファンがその恐ろしさを見落としていると思われます。
ハイライト
・『ドラゴンボールZ』のフリーザ編は、象徴的なシーンに代表されるように、ストレスが多いです。それは、強力な敵の存在によって不安を煽られるからです。
・この編の焦点は、フリーザと直接戦うことではなく、むしろ、いかにフリーザを避け、一対一で対峙しないようにするかということにあります。
それは、メインヒーローが(フリーザに比べ)力不足であるためです。
・フリーザのパワー、存在感、残忍な性質は、前のベジータの悪役としての役割をも凌ぐ恐ろしさを持っており、この編の恐怖と戦慄的感覚に貢献しています。
シリーズとして『ドラゴンボールZ』を見た場合、サイヤ人編によって多くの人が初めて宇宙を知るところから始まりました。
しかし、設定の重要性が浸透したのはフリーザ編からで、フリーザ編にはSF的設定がふんだんに盛り込まれています。
フリーザ編は、最も象徴的でストレスのたまるシーンのいくつかを提供しています。
悟飯の重要性と、フリーザとベジータより先にドラゴンボールを集めるというクリリンの目標、そして常に存在する強敵の脅威を考慮すると、フリーザ編は今日に至るまで非常にストレスの多い編であり続けているのです。
フリーザと戦うことよりも、全力で彼を避け、一対一の対決にならないことに重点が置かれているのは、確かに救いようがありません。
結局のところ、悟飯とクリリンはパワー不足で、ベジータの全開ブーストにもかかわらず、彼でさえフリーザにはかないません。
こうしたことにもかかわらず、何がフリーザ編を恐ろしいものにしているのでしょうか?、そしてなぜフリーザは、その名前を聞いただけで、あるいはその存在だけで、人を恐怖に陥れるのでしょうか?
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ドラゴンボールを求めて
編の最初の3分の1の大部分は、悟飯、クリリン、ブルマが、昔、神様が地球に到着するのに使った宇宙船でナメック星に近づくことに焦点が当てられています。
やがて彼らはドラゴンボールを探し求めますが、フリーザがその力を持って指揮する軍勢とすぐに出くわします。彼らは、フリーザやベジータと直接対決するよりも、回避することに専念することにします。
これは、ヒーロー達はもちろん、ベジータにさえ緊張感と不安的予感を与えるものでした。
それは、悪役とその動機、というよりむしろ、彼らのやり方を知るにつれて、彼らが物語のこの時点で、メインヒーローに比べてどれだけ残酷なほど圧倒的な力を持っているかが明らかだったからです。
ドドリア、ザーボン、そしてとどめのギニュー特戦隊まで、全員がヒーロー達より強くなることに全力を捧げており、そのように描写されていました。
ストーリー的には、ヒーロー達が圧倒的に強い悪役に見つかれば、あっさり敗れ、ヒーロー達が勝てる見込みが全く無いため、視聴者にとって絶望感しか感じられないようになっていたのでした。
そしてそれは、編の後半3分の1におけるフリーザとの対決で、すべてが決着することになります。
ベジータ、ピッコロ、悟飯、そして最終形態の悟空でさえも、彼らがこれまで見せてきたすべてを凌駕するパワーレベルを、この無敵の敵は、持っていたのです。しかも本性を現し、殺意にあふれて激怒していました。
そのフリーザが最終形態まで変身を重ねるにいたっては、誰もが恐れおののき、絶望してしまったのは、間違いないでしょう。ベジータでさえも、勝ち目のない現実を目の当たりにした途端、この帝王の前には死ぬしかないと、戦う気力を失ってしまうほどでした。
悟空でさえ、彼のあらゆる技を駆使し、肉体を限界まで酷使しても、フリーザを倒すことは出来ず、善のヒーロー達が勝ち、仲間も生き返るという確信を持つことが出来たのは、悟空がスーパーサイヤ人の変身を解き放ってようやくのことでした。
しかし、フリーザ編は、(リアルタイム放送)当時の多くの人々にとって、上に述べた理由だけでなく、フリーザが意図していた事そのものが恐ろしいものであったに違いありません。
恐怖そのものが擬人化
編の最後の3分の1でスーパーサイヤ人悟空が登場し、窮地を脱したにもかかわらず、その事がまだ明らかになっていない編の前の方では、フリーザのパワーと存在が、編全体を恐怖と戦慄で満たしており、戦いが始まったとき、視聴者に対しバトルの行く末に不安感を与えるものでした。
メディアに登場する多くのSF世界の皇帝のような暴君との戦いは、それ自体、恐ろしいものです。その暴君が、同じ惑星で、願いを叶えるドラゴンボールが存在し、それを手に入れるためには手段を選ばないことに気づけば、なおさらのことです。
何の罪もない子供たちを傷つけたり殺したりすることさえ、脅威の手段として実行する目的のためには、フリーザにとってはなんの躊躇いも感じないことのようで、彼のカリスマ的な、しかし恐ろしく強引な欲望へのアプローチは、控えめに言っても恐ろしいです。彼の残酷さを考えるとなおさらそうです。
フリーザはこの編のメイン悪役として、恐怖、暴虐、残酷さをより純粋に体現していました。さらにいえば、サイヤ人編で悪役として登場したベジータでさえ、フリーザのパワーと恐ろしい存在感に、匹敵することはできなかったのです。
フリーザの変身も、彼の異質で異世界的な特徴を強化するのにうってつけで、とにかく救いようがないくらいの恐怖感が増しました。
『ドラゴンボールZ』の視聴者を、不確かさ、不安、恐怖の新しい領域まで陥れ、そして特に宇宙の帝王という、「悪」の新たな広がりへと押し上げたフリーザ様は、フリーザ編が、なぜこれほど恐ろしいのかの主な原動力であったのは間違いありません。
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